観るについて

ずっと以前のこと。

当時、師匠と仰いでいるある方から
次のような言葉を言われたことがありました。

 

 

「物事を見る時は、見学の「見」の字で見てはいけません。
観音様の「観」の字で観るようにするのです。」

「たとえば野に咲いた花を見て、美しいと愛でる事は誰でもできます。
でも、その咲いた花に栄養を与えている土の中にある
根っ子を観られる眼を持っている人はなかなかいません。」

 

 

どうですか。
実に含蓄のある言葉だと思いませんか?

 

ところで、現代ではこの「見る」と「観る」の区別が
なくなっているそうですね。

それどころか「視る」も「看る」も「覧る」も、
特に区別しなくてもいいようです。

なんだか、日本語の奥深さが無くなってしまっていくようで、
少し寂しいような気がしますね。

 

 

ちなみに私は小学校の漢字の書取りテストで、
「みずうみ」という問題に自信満々に「水海」と
書いたことがありました。

当時の私は、「湖」などという
謎の水地の存在を認識していませんでした。

それにしても、大きな水地を「みずうみ」だなんて、
なんて安直なネーミングセンスなんだ。

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