気遣いと迎合について

一般的に、人はひとつの概念を受け取っても
深く理解しようと、多角的に考えたりしないものです。

ただ、そうした行為を常に、
癖のように行なっている人は、見識が深まるばかりか、
一貫性のある軸を持った人になるように感じます。

私が出会ってきた「それなりの人」は、
特に、抽象的言語に関して、
彼らなりの言葉の定義をちゃんと持っている方が
多かったように感じます。

 

たとえば、私が最近感じた違和感として、
「気遣い」と「迎合」を混同して解釈している人が
多いことに気付かされます。

「気遣い」とは、配慮、思いやりにも通じる言葉であり、
そもそも「For You」が根底にある行為です。

それに対して「迎合」とは、媚びや保身に通じる
ニュアンスが含まれることから
「For Me」が根底にあるようにも感じます。

 

そうした定義が定まると…

「気遣い」とは相手に気付かれぬよう、
望んでいることを滞りなく行うような計らいをすることに対し、
「迎合」とは自身のアピールが言動に含まれる行為となります。

人の何気ない所作から、
相手の意識や精神が感じられるようになるものです。

 

もっと言うと「気遣い」が出来る人は、
自身のインティグリティが起源となっていることから、
自分軸を持ち合わせている人と判断できますし…

行動の端々に「迎合」のニュアンスが含まれている人は、
他人軸に生きている人であると判断することができます。

 

「それなりの人」が、何故人を見る目を持ち合わせているのかは、
先ずは、言葉を多角的に考えて、見識を深めることから
スタートできるのかもしれません。

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