モラルについて

2020年までに公共施設にあるエスカレーターでの
歩行を禁止させようという動きがあるらしいです。

「エスカレーターは本来、歩くように設計されていない」
というのが禁止理由の根拠であり、非常に危険だというのが、
その理由だそうですね。

それはそれで理屈にあっているようなのですが、
世界全体を見てもエスカレーターの片側空けは
ほぼ常識化しています。

一説によると、中国や韓国などは万博や五輪、
W杯などの自国開催を機に、先進国モラルを導入するべく
当局が「片側空け」を一般化させたと言われています。

このことを取り上げたのは、危険とか常識とか、
そういったことを議論したいのではなく、
「主体性」という点について改めて考えるためです。

 

そもそもですが、日本人という国民気質は、
国家にとっては統制しやすい国民性なんだと思います。

昭和の時代、「日本型社会主義」などと揶揄され、
「個」よりも「社会」が優先されていた日本人のモラルは、
今でこそ多様性を持つようにもなりましたが、
いやいやどうして、まだまだ根強いものがあるようです。

そもそも日本人は歴史的に見ても、
統治されることに慣らされています。

 

たとえば、フランスなどのヨーロッパ諸国のように革命によって
市民の意思が社会体制を変えた経験を持ち合わせていませんし…

アメリカのように、自己責任で新天地に挑んだ人たちが作った国家とは、
その基本概念が全く異なるような気がします。

 

彼らは、個人が持つ主体性・自由意志を尊重する
基盤の上に成り立つ社会体制であるのに対し、
我々日本人は、周囲との調和・モラルを優先する傾向があります。

それこそが、相互管理のシステムが背景にあることに
気付く人は少ないです。

 

欧米の文化にメリットとデメリットがあるように、
日本人の文化にもそれらは存在します。

大きなメリットとしては、治安の良さが挙げられるでしょう。

自我よりも社会性を尊重することを
DNAレベルで植え付けられている我々は、
社会のルールに反することを疫病のように
忌み嫌うが故かもしれません。

ちなみに言うと、最近話題の煽り運転をする大半が、
そのきっかけは「モラルやルール違反」されたことへの報復、
いわゆる、彼らなりの社会正義だったりすることも
この同一軌道上にある傾向かもしれません。

我々はいい意味でも悪い意味でも、
他人に対して過干渉になっているように感じます。

 

デメリットの面に言及すると、
「モラルや常識を深く考えずに受け入れてしまいがち」
だという点です。

たとえば、世界の非常識であったとしても、
法で決まったことであれば、社会運動などが起こることなく
すんなりと受け入れてしまったり…

国家、お上(かみ)、上席、常識、マナーetc.
という定型なフレームについて、
従順に従い、そこに個人の意思や考えが
湧き出ないようにトレーニングされているようです。

 

たとえば、常識やルールに関して、
「何故なのか?」とか
「適正なのか?」とか
「私はどうしたいのか?」といった視点が
もっとあってもいいように感じるのですが。。。

 

そういうことを考える人が異常に少ない民度の高い国家では、
2020年までにコレを常識化しようとお上が思えば、
統制するのは容易いことなんでしょうね。

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