そもそも論について

最近、少し驚いていることがあるのですが、
実に多くの人が、たとえば作業や仕事をする際に、
目的や意図に対する意識が希薄であるという点です。

 

多分、初めのうちは目的や意図を理解して、
それなりに意識をしてるのでしょうが…

作業に集中するせいか、本来の目的を見失って
作業そのものが目的となってしまうというケースは
珍しくありません。

 

たとえば、
受注目的でコミュニケーションを取っていたのに、
話に熱が入り、度を越してしまうなどです。

同様に見える作業でも、
本来の目的や意図が異なれば、
その優先順位や重点ポイントは変わってきます。

仕事や作業が、限られた時間内に
最大の結果を求めるものであるならば、
それを常に意識し続けることは
至極当然のことだと思います。

 

 

以上のことを伝えたくて、
ネットで「そもそも論」という語句を検索したら、
非常に興味深いことを発見したので、シェアさせてください。

意外にも「そもそも論」を語る人に関して、
批判的な記事が多いって事に気付かされました。

彼らの理屈は、集約すると次のような理論でした。
物事は、進行するうちに前提条件が変わることがある。

 

私から言わせると、だからこそ
そもそもの目的や意図を
常に、共有する必要があるんじゃないかと思うんですがね。

本来の目的や意図を見失い、
ときに、手段が目的のようになってしまっていることは
よくあることです。

そういう状態を「木を見て森を見ず」と言ったりします。

 

細かい知識や情報を持ち合わせることは
確かに大事なことではありますが、
常に、大局や本質を見失なわない視点を
持ち合わせていたいものです。

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